自責〜生後2166日
2021年9月5日 日曜日 もも5歳11ヶ月4日
久しぶりに晴れた朝。ももがいない静かな朝。
でも心は晴れない。
金曜日の朝、幼稚園に送る時間が遅れ、妻とケンカになった。仕方なく、車で幼稚園に行こうと鍵を持ち、ももの手を強く引き走った。
すると、車の鍵の電池がなく開かない、また家に走った。
雨が降っていたので、ももに、自転車置き場で待っているように言ったのに、ももは僕について部屋までかけて上がってきた。
きっとひとりが不安だったのだろう。
僕がイライラしていたので、放って置かれると思ったのか。
ももと一緒だと階段降りる時間もかかる。僕は余計にイライラして車の中でももに、厳しく当たった。
多分、その後、幼稚園で一日、不安だったろう。あるいは、怖かったか。
しばらくして落ち着き、妻と仲直りして、一緒に幼稚園に行った。僕と妻の顔を見て、ももの顔は嬉しそうだった。
夜、お風呂で「もも、朝はごめんね」と言ったら、ももは「良いよ、わたし、おとうさんを信じる」と言った。こういう時のももの、言語力には驚く。
昨日、姫路に2人が帰る前、3人でパン屋さんととクリーニング店に行った。車の中で、ももが「わたい、幼稚園でおともだちとケンカしそうになったけど、がまんしたよ。えらい?」と聞いた。「えらいよ」と僕と妻。妻が「おとうさんは、おこりんぼだねー」と言った。
車でももと、妻がパン屋から帰ってくるのを待っている時、僕が「だめな、おとうさんだね」というと、「そんなことないよ、たけうまおしえてくれたし」と慰めてくれた。
慰められる気持ちと同時に、感情的になり、感受性の高い、小さな可愛い子どもに当たる自分を嫌悪する気持ちにもなる。
もう50代後半なのに。まだ10代の頃の方が、マシだったのではなきかと思う。
いろいろあって本当は消え入りたい気持ち。
ももの笑顔、ももの手肌の感謝の愛しさ、ももの声が、僕を生かしてくれているように思う。
今日は日曜日。ももがいない間に仕事を片付けて、夜帰ってくるももを笑顔で迎えよう。