ことばとすうじ、そして僕の父(もものおじいちゃん)〜生後2134日
2021年8月4日水曜日 もも5歳10ヶ月3日
昨日とは打って変わっての快晴。大阪方面は少し霞がかかっていたけど、空は澄んでいた。
(大阪市街地方向)
(関西空港方向)
(六甲アイランド方向)
今朝は妻も僕も6時に起きた。僕は昨晩の帰宅が遅かったので、ももの寝顔を見ながら、妻と昨日の出来事を話す。ももと妻は寝る前に「白ずきんちゃんと赤ずきんちゃん」と言う、ももオリジナルのシナリオで「ごっこ遊び」をして楽しんだらしい。白ずきんは、赤ずきんの妹で、オオカミとも仲良くなると言うはなしだったとか。寝ていたももが、白ずきんの話のところで、一瞬笑って反応した。
ももは、ことばは長けているように思うが、すうじはからっきし。30まで数えるには数えるが、まるでお経のように覚えているだけで、規則性などは理解していない。こどもチャレンジも、ことばに関するものは得意だけど、数字に関することは苦手。
僕の父は、幼い僕や姉に厳しく、スパルタだった。姉は元旦から書初めの練習を父の前で正座して行い「こざる、こざる、こざる・・・」と書き連ね、書初めで読売新聞社賞を貰った。
僕も書道をやらされかけたが、泣いて逃げた。小学校一年から算数を父に習ったが、「1, 2, 3, 4, 5」数えることからエスカレートして、父は小学生の僕に数列を教えた。その記憶は鮮明に覚えているが、成績は悪かった。
小学校一年の時に、先生から父が「僕は声が綺麗」と聞いてから、父は僕を声楽レッスンに通わせた。ソルフェージュ、コールユーブンゲン、コンコーネ・・・。
小学校4年に市の少年少女合唱団の試験があるのに備えたのだが、もちろんそんなに練習して受験する子どもは少なく(いない?)、当然合格した。
父は、勝手にテレビの家族歌合戦に応募し、僕と姉と父のチームは優勝。その陰には、毎晩の特訓があったことは言うまでもない。
熊本出身の父は、幼い僕たちに「歌の歌詞で、が、と歌う時は、んがっと言うんじゃ」と教えた。父は絶対だったので、僕と姉は忠実に教えを守り「わかばがしげる」という歌詞を2人で「わかばんがぁしげるぅ」と熱唱した。
その甲斐もあり、姉は父が応募した「スター誕生」で決戦大会に出場し、石野真子と同じ先生のレッスンを受けたし、僕は父が応募した市内の「のど自慢大会」を変声期まで総なめした。
歌だけでなく、父は、茶道、テーブルマナー、水泳、柔道、いろんなことを教えた。仕事をしながら、夜に僕たちにあれこれ教えてくれた父を、仕事をしている今、僕は並大抵ではなかったのだとと思う。愛情溢れる人だった。
しかし、そんな父への反発か、反動か、僕はももにあまり教えないし、しつけない。
そんなせいか、ももは自由。先日の幼稚園の参観日には、ももは、授業中、わざわざ保護者の方を向いて、鼻クソをほじくり、鼻クソと共にその手を口に持っていった。それを見た妻は、思わずダメーっと大声で叫びそうになったらしい。
やはりある程度のしつけは必要かも知れない。
もも。おじいちゃんの10分の1くらいは、お父さんもしつけたり、教えたりするね。
3年前。2018年8月4日土曜日 生後1038日 2歳10ヶ月3日のもも。
三宮のボーネルンドのプレイルームで熱心に遊んでました。