50歳パパと娘の阪神間すみっこ暮らし

50歳で二度目のパパ。阪神間のすみっこで家族3人で暮らしています。

ことばとすうじ、そして僕の父(もものおじいちゃん)〜生後2134日

2021年8月4日水曜日 もも5歳10ヶ月3日

昨日とは打って変わっての快晴。大阪方面は少し霞がかかっていたけど、空は澄んでいた。

大阪市街地方向)

f:id:papa50s:20210804091334j:image

関西空港方向)
f:id:papa50s:20210804091327j:image

六甲アイランド方向)
f:id:papa50s:20210804091331j:image

今朝は妻も僕も6時に起きた。僕は昨晩の帰宅が遅かったので、ももの寝顔を見ながら、妻と昨日の出来事を話す。ももと妻は寝る前に「白ずきんちゃんと赤ずきんちゃん」と言う、ももオリジナルのシナリオで「ごっこ遊び」をして楽しんだらしい。白ずきんは、赤ずきんの妹で、オオカミとも仲良くなると言うはなしだったとか。寝ていたももが、白ずきんの話のところで、一瞬笑って反応した。

f:id:papa50s:20210804091924j:image

ももは、ことばは長けているように思うが、すうじはからっきし。30まで数えるには数えるが、まるでお経のように覚えているだけで、規則性などは理解していない。こどもチャレンジも、ことばに関するものは得意だけど、数字に関することは苦手。

僕の父は、幼い僕や姉に厳しく、スパルタだった。姉は元旦から書初めの練習を父の前で正座して行い「こざる、こざる、こざる・・・」と書き連ね、書初め読売新聞社賞を貰った。

僕も書道をやらされかけたが、泣いて逃げた。小学校一年から算数を父に習ったが、「1, 2, 3, 4, 5」数えることからエスカレートして、父は小学生の僕に数列を教えた。その記憶は鮮明に覚えているが、成績は悪かった。

小学校一年の時に、先生から父が「僕は声が綺麗」と聞いてから、父は僕を声楽レッスンに通わせた。ソルフェージュコールユーブンゲン、コンコーネ・・・。

小学校4年に市の少年少女合唱団の試験があるのに備えたのだが、もちろんそんなに練習して受験する子どもは少なく(いない?)、当然合格した。

父は、勝手にテレビの家族歌合戦に応募し、僕と姉と父のチームは優勝。その陰には、毎晩の特訓があったことは言うまでもない。

熊本出身の父は、幼い僕たちに「歌の歌詞で、が、と歌う時は、んがっと言うんじゃ」と教えた。父は絶対だったので、僕と姉は忠実に教えを守り「わかばしげる」という歌詞を2人で「わかばんがぁしげるぅ」と熱唱した。

その甲斐もあり、姉は父が応募した「スター誕生」で決戦大会に出場し、石野真子と同じ先生のレッスンを受けたし、僕は父が応募した市内の「のど自慢大会」を変声期まで総なめした。

歌だけでなく、父は、茶道、テーブルマナー、水泳、柔道、いろんなことを教えた。仕事をしながら、夜に僕たちにあれこれ教えてくれた父を、仕事をしている今、僕は並大抵ではなかったのだとと思う。愛情溢れる人だった。

しかし、そんな父への反発か、反動か、僕はももにあまり教えないし、しつけない。

そんなせいか、ももは自由。先日の幼稚園の参観日には、ももは、授業中、わざわざ保護者の方を向いて、鼻クソをほじくり、鼻クソと共にその手を口に持っていった。それを見た妻は、思わずダメーっと大声で叫びそうになったらしい。

やはりある程度のしつけは必要かも知れない。

もも。おじいちゃんの10分の1くらいは、お父さんもしつけたり、教えたりするね。

f:id:papa50s:20210804132701j:image

3年前。2018年8月4日土曜日 生後1038日   2歳10ヶ月3日のもも。

三宮のボーネルンドのプレイルームで熱心に遊んでました。